真田幸村の生涯と最期の言葉
2016年1月から始まるNHKの大河ドラマ『真田丸』。主人公は真田信繁(のちの幸村)です。
真田幸村といえば軍略に長けた猛将や大坂の陣で散った悲劇のヒーローなどさまざまなイメージがあります。また、真田幸村を語る上で徳川家康との対立は欠かせず、家康に対抗し続けた生涯と言って良いでしょう。
ではなぜ真田幸村は徳川家康と対立し続けたのか? この記事では、真田家の家系図と関ヶ原の合戦以降の真田幸村の生涯を中心に解説します。
真田家の3代の家系図
真田幸村の生涯を解説する前にまず、真田家の家系図を説明します。
真田家の礎を築いた真田幸隆
真田幸村の祖父、真田幸隆は甲斐国の武田信玄の家臣でした。武田二十四将にも数えられる名将で真田家の礎を築きました。かの有名な真田家の旗印「六文銭」も真田幸隆が使用し始めたものです。
徳川家康を恐れさせた知将真田昌幸
真田幸隆の跡を継ぎ真田家の当主となったのは真田幸村の父でもある真田昌幸です。真田幸隆と同じく武田信玄に仕え信玄の死後も武田勝頼に仕えました。
武田家滅亡後は織田家、豊臣家へと仕えました。特に豊臣秀吉には大変恩義を感じており息子真田幸村を人質に出しています。そのため真田幸村は幼少期豊臣家で人質として生活しました。
戦国時代屈指の智将とと言われる真田昌幸は関ヶ原の戦いでは西軍につき大活躍します。後の2代将軍徳川秀忠率いる3万8
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