大富豪ハワードヒューズが残した30通の遺言書
ハワード・ヒューズという実業家をご存知でしょうか?
1976年テキサス上空を飛行中に病死したとされるのですが、15億ドル以上、日本円で1800億円以上もの遺産を残したお金持ちです。
ハワードヒューズはなんと30通を超える遺言書を残していました。
photo by Public.Resource.Org
地球上の半分の富を持つ男 ハワード・ヒューズ(1905年-1976年)
ハワードヒューズはテキサス州ヒューストンに生まれました。
父親のハワード・ロバート・ヒューズ・シニアは、鉱物の掘削機を開発し、その販売で事業の成功をもたらします。
ヒューズ自身は、機械に興味を持ったためか、飛行機やレーシングカーに興味があり、どちらかというと内向的な性格に成長します。
映画と航空機ビジネスへ
その後、16歳の時に母が、18歳の時に父が相次いで他界します。
これにより、多額の遺産を相続しますが、それによって、映画製作と飛行機製造業を初めました。
特に映画製作では、数々のアカデミー賞ノミネート作品やヒット作を手がけ、その手腕を発揮しました。
特に、「地獄の天使」という映画では、破格の制作費をかけて作成します。
なお、資産家であるがゆえでしょうか、数々の女優とも浮き名を流しました。
飛行機製造業では、ヒューズ・エアクラフトという会社を立ち上げ、1938年にはわずか91時間で世界一周飛行を実現します。さらには、トランスワールド航空を経営し、アメリカを代表する航空会社に成長させます。
ヒューズの晩年
なお、ヒューズの多額の資産は、ハワード・ヒューズ医学研究所という団体を設立してそこに移しました。
この研究所では、研究員に年間1億2千万円ほどの研究費を与える助成活動を行っています。
その結果、この研究員から多くのノーベル賞受賞者を排出してきました。
輝かしい功績を遺したヒューズですが、晩年は、極度の強迫性障害を発症し生活や健康面に支障がでました。
アスピリンの濫用などもあり、体調を崩したようです。
そして、1976年にメキシコからアメリカに戻る際に自家用機内で死亡します。70歳でした。
親族ではない、トラックドライバーに渡すという遺言書!
ハワード・ヒューズは、誰にも知られないように、手をつくして遺言書を作成したと言われていますが、明確のものは残しませんでした。いくつもの遺言書の効力が裁判で争われます。
その中でも1968年に残した遺言書は有名になりました。
これはモルモン教の協会で発見されたことから、モルモン遺言書とも言われます。
遺言書には、親族でもない第三者、メルビン・デュマーに財産を渡すという内容が書かれていました。
これはヒューズがバイク事故を起こしたあと、若いトラック運転手だったデュマーに助けられたという話から、16分の1をデュマーに相続させるという内容なのです。
この遺言書は裁判で決着がつくまでに相当時間がかかりましたが、文法、スペリングといった観点から、正しいものではないと裁判所は認定します。
結局、メルビン・デュマーの手元には財産がいくことはありませんでした。
結局は30通以上の全ての遺言書が無効だった!
これだけの、資産家ですから、ありとあらゆる遺言書が出てきました。30通以上にもなります。
しかし、結局のところすべての遺言書が認められることはありませんでした。
その結果、遺言書がなかったものとして、生前に連絡し合ったこともないような様々な遠い親戚たちに、遺産が渡されます。
突然、大金が手に入った相続人はさぞ驚いたことでしょう。
このような、棚ボタ的にお金をもらった人たちのことを「笑う相続人」といいます。
ヒューズの相続においては、まさに「笑う相続人」が多数でたのです。
遺言書がたくさんあったことでさまざまな人達が振り回された結果となりましたが、
訴訟好きで秘密主義だったヒューズからすると、この結果を望んでいたのかもと思ってしまいます。
まとめ 遺言書の形式には注意しましょう
ヒューズが遺言書を残したかったのかどうかは、今となってはわかりません。
ただし、もし明確に支持したかったら明確な遺言書を遺したでしょう。
皆さんも確実に相続人に財産を渡したい場合には、ちゃんとした形式と内容の遺言書を作成しましょう。”
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