「風とともに去りぬ」主演クラーク・ゲーブルの遺言を紹介

映画「風とともに去りぬ」(1939年)に出演した1930年代を代表するハリウッドスター、クラーク・ゲーブルの遺言書はどのようなものだったのでしょうか?

photo by Insomnia Cured Here

クラーク・ゲーブルの生涯

生まれてから俳優になるまで

1901年ゲーブルはオハイオ州で父ウィリアムと母アデレインとの間に生まれます。

16歳で高校を辞め工員として働いていたゲーブルですが、劇場で見た演劇に感動し俳優になる決心をし、オレゴン州ポートランドで地元の劇団に加わります。

最初の結婚・そしてスターへと駆け上る

劇場支配人であったジョセフィーン・ディロンから金銭的援助を受けてハリウッドに行き、そこでジョセフィーンと最初の結婚をします。

端役での映画出演を行ったのですが、また舞台演劇に戻ったのですが、大手映画製作会社メトロ・ゴールドウィン・メイヤー社の幹部の目にとまり1930年に契約をすると、翌年から多くの映画に出演し「キング・オブ・ハリウッド」とも呼ばれるようになります。

この間、1931年にジョセフィーンと離婚、2度目の結婚をレアー・ラングハム・ディヴィスと、3度目の結婚をキャロル・ロンバードとしています。

妻の死と第二次世界大戦での軍役

3度目の結婚をしたゲーブルですが、その妻を飛行機事故で亡くします。

その後、ゲーブルはアメリカ合衆国陸軍航空隊に入隊。ヨーロッパ戦線でB-17爆撃機で出撃を行います。

晩年と死去

晩年は映画が商業的に成功せず、大手映画製作会社メトロ・ゴールドウィン・メイヤー社との契約は更新されなかったものの、映画には出演しつづけていました。

1960年ロサンゼルスにおいて、心臓発作で死去。最後の作品は「荒馬と女」でマリリン・モンロー最後の出演作でもありました。

生涯に5度結婚をしましたが、生存中に子供が生まれることがありませんでした。

クラーク・ゲーブルの遺言

クラーク・ゲーブルの遺言書は2ページあまりのきわめてシンプルなものであったとされます。

それは以下の通りです。

  • ノースハリウッドにある土地と住宅をかつての妻ジョセフィーンに
  • 残りの遺産を現在の妻、キャスリーン・G・ゲーブルに

というものです。(出典:セレブの遺言書(PHP研究所))

ただゲーブルが亡くなった際にはキャスリーンは妊娠をしており、ゲーブルの死後に生まれることになります。

ゲーブル没後に生まれてきた胎児には相続権は無いのか?

アメリカの相続法には遺留分という概念が無いので遺言書があり、その通りに配分で終わり…という事になりますが、日本の法律が適用された場合はどうなるでしょうか。

ゲーブルが死去した時点では生まれていない胎児の取り扱いについて法律は「すでに生まれたものとみなす」としています。

どういうことかというと、無事生まれてきたことを条件としますが、亡くなったときには相続人として居たことにするということを意味しています。

ですので、その子は遺留分減殺請求ができるということになります。

まとめ

このページでは、クラーク・ゲーブルの遺言と相続から、胎児の相続権について考えてみました。

近年は若い人の間でもエンディングノートや遺言の作成をしておく方もいらっしゃいます。

その際に自分や自分の配偶者が妊娠していた場合の相続はどうなるか?遺言書はどうすべきか?という事を考えるきっかけになれば幸いです。

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