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織田信長の生涯と最期の言葉。「是非に及ばず」とは?

ニュース・コラム 2016年1月11日 閲覧数:3016
尾張に生まれ、天下統一を目前にしながら、一生を終えた織田信長。型破りな生き方にファンも多い武将の一人です。その最期は「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」と舞ったと言われています。これは、よく知られているとおり幸若舞「敦盛」の一節。信長自身の言葉ではありません。
織田信長の最期の言葉とは。その一生とともに紹介します。

尾張に生まれた、大うつけ

1534年、織田信長(幼名:吉法師)は、尾張国の古渡城城主、織田信秀の子として、那古野(愛知県名古屋市にある町)にある小領主の家で生まれました。
織田家はその父の代から主家を凌ぐ勢いがあり、信長は2歳で那古野城の城主になります。
清州城下に火を放つなど、奇異な行動が目立ち、「尾張の大うつけ」と呼ばれます。また、徳川家康との縁はこの幼少期から始まります。
 

16歳で結婚。18歳で織田家の主に

16歳になった信長は政略結婚で美濃国の斎藤道三の娘、「濃姫」と結婚します。その2年後、18歳には父が永眠したため、織田家の家督を継ぐこととなりました。
そして戦いの才能を発揮し、尾張国を統一し、国主となったのです。
 

室町時代を終わらせた男

織田信長が関わった有名な戦いといえば、「桶狭間の戦い」(1560年)です。戦いでは、尾張を攻めてきた今川義元を破り、徳川家康と同盟を結びます。
その後、「姉川の戦い」(1570年)では、浅井氏・朝倉氏を破り、浅井氏・朝倉氏を匿っていた比叡山延暦寺を焼き討ちにしました。
そして当時室町幕府の将軍であった足利義昭を追放し、それまで約250年間続いてきた室町幕府は幕を閉じました。信長40歳の時でした。
 

新時代の幕開け

1575年には、武田信玄の死後、跡を継いだ勝頼を破ります。騎馬軍に対抗した鉄砲を三段構えにして圧勝した「長篠の戦い」です。
これ以降、信長は「上様」と呼ばれる存在となり、将軍と同等といわれるまでに昇格していきました。
翌年には安土城の建設が始まります。また、楽市楽座など様々な制度を整え始めました。
こうして、順調に見えた天下統一への道も半ばに事件が起きます。
 

本能寺の変で口にした「是非に及ばず」とは

1582年、本能寺の変。中国遠征の軍を整えるために上洛し、本能寺に滞在していた信長を、家臣である明智光秀が襲撃しました。
「是非に及ばず」とは、本能寺の変が起き、謀反者が明智光秀とわかったときに織田信長が発した言葉です。
言葉を読み解くと、是とは「いいこと」、非とは「わるいこと」、及ばずとは「そこまでしなくてもいい」。つまり、「良し悪しを判断する必要なんてない」ということ。
織田信長の置かれた状況から「裏切った者について、良し悪しを議論している余裕もない。今起きていることを対処するしかない。」という意味で解釈できるでしょう。
また、裏切り、裏切られることが多かったこの時代だからこそ、裏切られたことをくよくよ悩むより、今起きていることを大切に考えていこうというようにも考えられます。
上記以外にもさまざまな解釈の仕方があり、現在も議論が続いています。
 

まとめ

織田信長は、本能寺にて波乱万丈の49年間を終えました。
本能寺に集まった圧倒的多数の敵を見て、自ら火を放ち、居間で自害したと伝えられています。
織田信長の最期の名言「是非に及ばず」。
あなたなら最期にどんな言葉を残しますか?
 
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