黒田官兵衛の生涯と辞世の句

2014年に岡田准一主演で話題になったNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」。この主人公だったのが、戦国時代に軍師として活躍した黒田官兵衛です。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と名だたる武将たちがいた激動の時代を生き抜き、筑前52万石の藩祖となりました。
官兵衛の生涯は戦国時代とは言え、実に波乱に満ちていました。一つ間違えば命が失われたかもしれない危機も何度かありました。
この記事では、官兵衛の生涯と辞世の句を紹介します。
 

生涯

生まれは現在の兵庫県

官兵衛の生まれた黒田家は、祖父の代から播磨の国(現在の兵庫県)の小さな大名であった小寺氏につかえていました。
家老として小寺家を支えていたのです。

この播磨の地は東から疾風怒濤のように進出してくる織田信長の軍勢と中国地方の雄である毛利氏のぶつかる地点でした。
そのため、両者の勢力が手を伸ばしてきましたが、織田家の力の大きさを見抜いた官兵衛は一貫して織田家の武将、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の側につきました。
これが原因で、主君であった小寺政職に裏切られ、信長に反旗を翻した摂津の荒木村重の立てこもる有岡城の土牢に幽閉されたのです。
このつらい幽閉生活によって片足が不自由になったと言われています。
また、官兵衛が牢に捕らえれているのを荒木方に寝返ったと誤解を受け、織田信長か官兵衛の息子である松寿丸(後の黒田長政)を殺そうとしたことがありました。
このときは官兵衛と並び称される名軍師であった竹中半兵衛の計略で松寿丸は難を逃れ、半兵衛に匿われていました。
 

秀吉に仕えて、大名として活躍

その後、有岡城は落城します。無事に救出された官兵衛は、秀吉の軍師としてつかえることになります。
本能寺の変で織田信長が倒れた後、毛利と和解し、明智討伐のため間髪をいれずに取って返した中国大返しは有名です。

羽柴秀吉を天下人へと押し上げた官兵衛は、その後も活躍し、豊前の国6郡、12万石の大名となりました。
官兵衛が有岡城から助け出された後、1万石→5万石→12万石と順調に出世したことを見れば、それなりの大名になったと言えます。

しかし、その貢献度から見れば12万石は決して大きくはありません。周りがどんどん出世し、若いものに抜かれることも少なくありませんでした。それをどのように感じていたのでしょうか。
家督を息子の黒田長政に譲った後も、官兵衛は小田原征伐や朝鮮出兵など、歴史の表舞台で活動し続けました。
 

関ヶ原の戦いを利用して天下取りを目指したが

黒田官兵衛が今一度、大きく輝いたのが関ヶ原の戦いのときです。

このとき、息子の長政は家康率いる東軍についていました。
黒田官兵衛は東軍に味方する風を装いながら、九州で兵を挙げ、次々と九州で勢力を広げていきました。
これは西軍と東軍が争っている間に九州で力をつけておき、戦で疲れ切った西軍と東軍のどちらかの勝者を最終的に叩くことで天下取りを狙ったと言われています。

まさに軍師官兵衛が天下取りと言う最後の大勝負に出たのが、この天下分け目の戦いだったのです。
しかし、東軍と西軍の戦いがなかなか決着がつかずに長期戦になることを見込んだこの策略は、西軍のあっけない敗北ですぐに終わりを告げました。

家康の大勝利は、官兵衛の天下取りの野望がついえた瞬間でもあったのです
関ヶ原の戦いが長引いていれば、九州の官兵衛の軍勢も含めた三つどもえの戦いになっていたかもしれません。

結果的に、息子の長政が関ヶ原の戦いで活躍したことにより、恩賞として黒田家は50万石を超える大名に出世します。
 

辞世の句

天下の行く末、黒田家の行く末を見届けた官兵衛は関ヶ原の戦いから4年も経たないうちに、この世を去ります。
辞世の句は「おもひおく 言の葉なくて つひにゆく みちはまよわじ なるにまかせて」。

この句を見ていると、この世ですべてをやり切ったという感じがあふれています。

激動の時代を生き抜いた官兵衛がいざ自分の死期を悟った時、この世に残しておく言葉もないし、あの世へも道に迷わす、なるにまかせていくことができる。まさに充実した人生を生ききった者の心境がはっきりと表れています。
そんな達観した心情が見事に表現されている辞世の句ですね。
 

まとめ

黒田官兵衛が亡くなったのは59歳。
還暦前と言うことで現代の感覚から言うと、まだまだ若い感じがしますが、当時の感覚で言うと、もう十分生きたという実感があったのでしょう。

現代でも60歳で定年を迎える人たちは、会社生活で十分にやり切ったという感慨を持つ方が多いと思います。しかし、定年後から今度は長い長い第二の人生が始まります。
ですから、官兵衛のようにこの年代で生への執着から解放されている人はほとんどいないのではないでしょうか?
これは時代の違いとも言えるでしょうが、生への執着から解放されるには、もう十分生ききったという充実感が必要なのではないかと思います。
その意味では、戦国の時代を十分に生ききったという達成感が官兵衛にはあったのでしょう。
現代に生きる我々もそうした心境に達することができるように充実した生をまっとうしたいですね。
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