芥川龍之介の遺書と芥川賞

2015年のベストセラーはお笑いコンビ「ピース」の又吉直樹さんの小説『火花』(文芸春秋)でした。流行語大賞にもノミネートされ、発行部数は240万部。大きな話題作となりました。この「火花」が受賞したのが芥川賞。芥川龍之介に関するものとは、想像はついても、実際のところはどのようなものでしょうか。芥川龍之介の遺言とともに紹介します。

芥川賞は1935年から

芥川賞の正式名称は、その名もずばり、芥川龍之介賞です。毎年、上半期と下半期の2回、純文学の新人に与えられるとされ、その選考委員は小川洋子さん、川上弘美さん、島田雅彦さん、宮本輝さん、村上龍さん、山田詠美さんら名実ある9名の作家です(2016年現在)。直木賞(直木三十五賞)とともに受賞作が発表され、毎回マスコミで採り上げられるなど、話題性の高い賞であることはご存知のとおりです。
もともとは、芥川龍之介の友人であった菊池寛によって、彼が経営する文芸春秋が手がける文学賞として、芥川の死後8年経った1935年に創設されました。創設当初はそう話題にあがる賞ではなく、石原慎太郎の『太陽の季節』がその転機と言われています。過激な内容と著者が学生であったことの話題性から、作品はベストセラーとなり、太陽族という言葉も生まれたほどです。
 

芥川龍之介と芥川賞

ノーベル賞の創設は、アルフレッド・ノーベルの遺言がきっかけでした。
では、芥川賞はどうでしょうか。芥川本人は何か関わったのでしょうか。
賞の創設は先述のとおり、芥川の死後のことです。何か生前に遺していたものがあったのか。
 
芥川龍之介は、1927年に自殺しています。自殺の動機として「将来に対する唯ぼんやりした不安」という言葉がよく知られています。
子どもへ遺した遺書には、「若しこの人生の戦いに破れし時には汝等の父の如く自殺せよ」と書かれ、人生に悩みぬいた彼の苦悩が読み取れるようです。
ここには、後の賞につながる言葉はなく、賞は菊池寛による友情の証のひとつとも言えるかもしれません。
 

まとめ

今日、華やかな文学賞として知られる芥川賞。芥川龍之介の類稀な文学の記念でもあります。彼の苦悩があったからこそ、輝ける賞としての地位があるのかもしれません。
芥川龍之介が亡くなった7月24日は、彼の晩年の代表作のひとつ「河童」から、河童忌と呼ばれています。
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