63歳年上のお金持ちと結婚した、元プレイボーイ紙モデルの相続トラブル
1995年8月4日に90歳で亡くなったアメリカ・テキサス州の大富豪J.ハワード・マーシャルは亡くなる前年に63歳年下の元プレイメイトの故アンナ・ニコル・スミスと結婚しました。ハワードが亡くなった後、彼の莫大な遺産をめぐって長年にわたってドロ沼の裁判がくりひろげられました。
テキサスの石油王、J・ハワード・マーシャル、遺産は270億円!
ハワードはテキサスの石油ビジネスで成功し、莫大な資産を手に入れました。
彼は生涯に3回結婚しており、二人の息子がいました。ハワードに勘当されるも、ハワードの死後に遺産を狙って舞い戻ってくる J.ハワード・マーシャルIIIと、後にハワードの遺産をめぐってアンナが裁判で争うことになる、 E・ピアース・マーシャルです。
63歳も年上との結婚・・・お金目当て?
出会いはナイトクラブ
1991年にアンナ・ニコル・スミスが働いていたナイトクラブに客として出入りをしていた J.ハワード・マーシャルと出会います。金品を貢がれますが、このとき、アンナはハワードの援助を拒否したと言われています。
アンナはマリリン・モンローの再来と言われたが、スキャンダルで破産
1992年、アンナに転機が訪れます。「プレイ・ボーイ」の創始者に見出され「プレイ・ボーイ」の表紙デビューを飾ります。その後、モデルとして成功を収めますが、スキャンダルによって破産、ハワードを頼りました。
アンナ、財産狙いの結婚か!?
1994年に89歳のハワードは、63歳年下で当時26歳だったアンナと結婚しました。1995年にハワードが亡くなったため、結婚機関はたったの1年2ヶ月弱でした。
63歳も年上と結婚したアンナは、ハワードの財産を狙ったと疑われました。もちろん、彼女は否定していました。けれども、後の裁判で、二人が一緒に暮らしていた実態がなかったことやアンナの奔放な性生活が次々と暴露されました。
遺産をめぐる長い裁判の始まり
父の財産の後見人となっていた息子
ピアースは、父の資産をアンナに相続させないために、ハワードがアンナと結婚した後、ハワードの遺言信託を作り、自身がハワードの遺産を管理する後見人となることを裁判所から正式に認められていました。
裁判で争うアンナと息子
ハワードの死後、アンナは、ハワードが彼の財産の半分をアンナに相続させると約束したとし、ピアースが不正に父の遺産をアンナに相続させないように画策したと裁判を起こします。裁判は、複雑化し、2つの州をまたいで行われていました。
そして、2000年12月には、カルフォルニア州の破産裁判所がアンナにも相続の可能性があることを認める判決を下します。しかし、一方で、翌年の3月には、テキサスの裁判所では、ピアースは何も不正がなかったことが認められます。
アンナが亡くなった後も裁判は続いた!!
2006年にはピアースが病死し、2007年にはアンナが亡くなりましたが、ハワードの遺産をめぐるマーシャル家とスミス家の争いは続きました。アンナの弁護団は、アンナの娘、ダニエリンに遺産の相続の権利があると争ったのです。そして、ついに2014年、アメリカの最高裁判所が、スミス家の訴えを棄却し、ハワードの遺産はピアースの未亡人であるエレインが相続するものであるという最終判決をくだしました。
まとめ
J.ハワード・マーシャルの遺産をめぐる争いは、20年続きました。きっとハワードはこのような争いは、望んでいなかったことでしょう。 膨大な富がアンナと彼女の周りの人達の人生を狂わせたと言っても過言ではないでしょう。裁判は、20年かけて一応決着をしましたが、その裁判にかかった費用やハワードの遺産に群がった人々のことを考えると虚しさが残ります。
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