ジョン・F・ケネディの遺言書を紹介

1963年11月22日テキサス州ダラスで遊説のため市内をパレード中に46歳という若さで暗殺されたジョン・F・ケネディ元大統領の遺言はどのようなものだったのでしょうか。

ジョン・F・ケネディとはどのような人だったのか?

生まれ~学生時代

ジョン・F・ケネディは1917年5月29日にマサチューセッツ州、アイルランド系移民で実業家のジョセフ・P・ケネディ・シニア、ローズ・フィッツジェラルド・ケネディ夫妻の次男として生まれました。

幼少期は体が弱く、生まれつき背骨部分に障害があったといわれています。子供の頃から様々な病気に襲われながらも、1940年6月にハーバード大学を卒業します。

軍歴

1941年海軍に入隊したジョン・F・ケネディは魚雷艇操縦訓練を受け魚雷艇の艦長になるも、乗っていた魚雷艇が日本海軍の駆逐艦と衝突し、船が沈没する事故が起きます。

この際、生存していた隊員を負傷した仲間を命綱で結びつけて6キロ泳ぎ無人島で救助がくる6日間を耐えしのいだ事があり、その事を大々的に取り上げた雑誌のおかげケネディは有名になったとされています。

その後救出後に部隊に復帰したものの、健康上の問題とマラリアにかかっていたことから除隊となります。

政治家そして大統領へ

第二次世界大戦終結後の1946年に、下院議員の補欠選挙があり、29歳の若さで下院議員に当選。

下院議員を3期務めた後にマサチューセッツ州上院議員選挙となります。その後、1953年ジャクリーンと結婚をします。

1960年大統領を選ぶ前哨戦である民主党大統領候補に指名されたケネディはテレビ討論会などで支持を強くしていき、キング牧師釈放への関与でその支持を広げることとなります。

こうして、知名度で勝る現職のニクソン副大統領を僅差で破り、翌1691年代35代アメリカ合衆国大統領に就任しました。

アポロ計画とキューバ危機

当時、世界初の人工衛星と有人飛行を成し遂げたソ連に対して、宇宙開発競争で遅れを取っていたアメリカにおいて、ケネディはアメリカ人を月に到達させるという計画、いわゆるアポロ計画のために巨額の予算の承認を議会に求めこれを通過させます。

また、「世界が核戦争に最も接近した時」とされるキューバ危機において、核戦争を交渉で回避した事は偉大な功績としてたたえられています。

暗殺

ケネディは、1963年11月22日その翌年の大統領選挙キャンペーンとしてテキサス州をダラス訪れ、市内をオープンカーでパレード中に、多くの市民が見ている前で狙撃され死亡しました。

ジョン・F・ケネディが遺していた遺言


photo by thesmuggler- Night of the Swallow

激動の人生を送ってきたジョン・F・ケネディですが、その遺言は、37歳上院議員を務めていたときに作成されたものです。

その内容は主に

  • 妻と将来の子たちのために信託を設けること
  • 「妻ジャクリーン・B・ケネディに、2万5

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